#5 自己肯定感
今日は、自分の性格を形成した一つの原因について、気付いたことがあったためここに認めたいと思います。
私が今までの生き方を考えるきっかけになったのは、
私のInstagramに載せた投稿に寄せられた複数のコメントです。
私は幼いころから自己肯定感がとてつもなく低く、ネガティブで、自分に自信がなく、常にだれかと比べながら生きてきました。
なぜそのような性格になったのか、全く考えたこともなく、なんとなく育てられ方かな~と思っていました。(両親よ、本当にごめんなさい。)
私の両親は、厳しいながらも私のしたいことはしっかりと理由等を聞いたうえで応援して背中を押してくれる親でしたし、周りの子と比べたりすることもなかったように思います。
では、なぜ私がここまでネガティブで自己肯定感が低くなってしまったのでしょうか。
原因は、幼稚園の頃からのコンプレックス、中学生でのいじめ、いじめから身を守るために私はとことん皆よりもレベルを下げていじられキャラに徹し、敵視されることが無いようにひっしに生きていました。
自分よりブスで、勉強も運動もできず、家が裕福なわけでもない人間をわざわざ嫉妬し攻撃しますか?
きっと心の中で「あいつよりはマシ」と思いながらも適当に当たり障りのない付き合いをするのではないでしょうか。
当時、地元にいる私は目立つことが大好きで、リーダーになることが大好きだった自我をそっと閉じ込めて一緒にいる友達よりも下であることに徹しました。
幼稚園の頃の同級生で家族ぐるみのお付き合いをしていた子がいます。小さいころの写真はほぼすべてその子と一緒に写っています。中学に入るときにその子は私立に行ってしまったのでそこからは中々会うことがなくなりましたが、その子のおうちはとても裕福で、素直で、顔もかわいらしく、持ち物はすべてハローキティで、とても大切に育てられていた子でした。純粋に、羨ましかったです。
その子を最後に見たのは5~6年前。私たちが20歳くらいの頃だけど、おすすめのユーザーとして出てきたInstagramにブランドのバッグを色違いでたくさん載せて、プラダ・ミュウミュウのレセプションパーティに招待され、煌びやかな生活を送っていました。多分性格も昔と変わらず素直なままなのが文章にも表れていて、今時もう使わない懐かしさを感じるギャル文字で楽しそうな日常を綴っていました。私はそのアカウントをフォローすることなく閉じその後彼女を見ることはありませんでした。
小学生の頃の話は特に面白くないので割愛しましょう。
中学に入り、垢ぬけない私はヘルメットというあだ名をつけられ いじめられました。
由来は…こけしみたいなものです。重たい前髪をぱっつんにし、長めのおかっぱだったからです。毛量が多いからヘルメットかぶってるみたいだったんでしょう。
美術の授業で入学式のクラス集合写真のモザイクアートをクラス全員で作ることになりました。
その時に私はヘルメットだったため、私の頭と顔は真っ黒の画用紙で切り貼りされ、そこだけぽっかり穴が開いたような仕上がりになりました。
そのモザイクアートは学年が変わるまで教室に張り出されましたが、だれも私の顔に気づいてくれる人はいませんでした。
中学二年生になったとき、私はこのままだと3年間ずっといじめられてしまうと思い、キャラを変えることを思いつきました。今まで私を無視してきたり目の前で悪口を言ってきたカースト上位の女子にいじられキャラとして取り入ることができました。
勿論、無理することは多かったですが彼女たちにも面白がってもらえ、友達も増え(この人たちはのちに友達ではなくなるけど)結果的に中学時代を無難に過ごすことができました。
高校では比較的偏差値も高めのところに進学したため、偏差値底辺の中学の同級生とはあまり会わなくなり、高校ではいまだに親しくしている親友とほぼずっと一緒にいました。
高校を卒業した後、私は専門学校に進学しました。そこでは自分のしたいことものびのびできましたし、なにしろ高校までの知り合いが一切いない環境に飛び込めたので、新しくコミュニティを作ることができました。ここで出会った友達はいまだに連絡を取ることも多く、友達にコンプレックスを抱くこともなくありのままの私でもこんなに友達ができるんだととてもうれしく思いました(小学生の作文)
専門学校を卒業し、あるきっかけで上京することになりました。
東京にも数人友達はいましたが、結局今仲良くしているのは東京に来てから応援したアイドルのおたく友達であったり、同じ店で働いていた従業員の友達など新しい出会いがたくさんありました。
みんな、私のことを認めてくれ一緒にいても劣等感や違和感を感じることが全くありません。
勿論、地元の友達にもいい関係を築けた友達はいます。ですが、地元の同窓会に行く予定は今後もありません。その当時のノリを求められるのが苦痛だからです。
私は当時そこまで深く受け止めていませんでしたが、自分に自信が無さ過ぎて周りから貶されても違和感を感じずに生きていました。麻痺していたのかもしれません。
でも今は違います。すこしずつネガティブがポジティブに変わっていき、自己肯定感もすこしずつ高まってきています。それは今私の周りにいてくれている友達のおかげです。
あと、若干話はそれますが、アイドルのおたくをしていたことも自己肯定感を高める役割を果たしてくれていたと思います。小さい規模の界隈だとおたくの順位はとても分かりやすく、私はお金を使うことで自分の価値を見出していました。実際に推しから私が価値を見出されていたかどうかではなく、アイデンティティでした。
そんなことで価値を見出しても…(笑)と笑う人はたくさんいると思いますが、たかがこのレベルのことでも、私にとっては大事なリハビリのひとつでした。
何年か前、地元に帰ったとき親友に誘われてご飯に行きました。その時彼女も酔っていたのかもしれませんが、私の話を否定でぶった切ることが多く、(性格が)変わったと言われました。私はその子の前ではいつもありのままの自分でいた(つもり)でしたし、変わったと言われ困惑しました。
高校生の時、彼女は親に買ってもらったヴィトンの財布を使っていました。私はショッピングモールに入っている雑貨屋の財布を使っていました。
今は、彼女は何の財布を使っているのか知りませんが、私が自分の給料を貯めて買ったグッチの財布を見て「そんな財布なんか持って」と言われました。
私が東京に住んでから出来た彼氏の話をすると「その彼氏やばいって」と否定されました。
ああ、この子ももしかすると自分より優れている点が私にあると嫌なのかなと思いました。
そこまではいかなくても、当時の私のままでいなかったことが気に食わなかったのかもしれません。
東京に来てから出来た友達は私のことを否定する子はいません。もちろん私が間違ったことをした場合窘められることはありますが、一緒にいて違和感を感じたことがありません。その環境に慣れていたからこそ、余計にもやもやしたのを覚えています。
さて、では最初にお話ししたInstagramのコメントの話に戻りましょう。
私は、この間の4連休で都内は状況を鑑み家で妹とすることがないため布マスクを作りました。
ちょうどそのころ、妹とプロジェクトランウェイ(アメリカのファッションデザイナーのオーディション番組)にはまっていたのもあり、
不織布のマスクに飽きたので、どうせなら普段楽しんでつけられるファッションの一部になるマスクを作ろうと、生地はブルーグレーと、マゼンタを選びました。
ブルーグレーのマスクには黒レースをあわせ、マゼンタにはビジューを付け
妹も私も大満足の仕上がりになりました。確かに、レースやビジューを付けると華やかすぎたかもしれません。
写真に撮りInstagramにアップしたところ、
最初のコメントは「なんかエロいね」というものでした。確かに私のものと妹のものを二つ並べると下着みたいに見えたかもと思い、「二つ並べるとブラみたいだよね(^^;)」と返信しました。
ただ、載せたのは何の変哲もないマスクです。全くセクシャルなものを載せたわけではないのにエロいと言われるのは多少心外でした。
二つ目のコメントは、「それつけて地元に帰ってきたらさぞいじられるでww」でした。「大阪には手作りマスクの人いないの?それかこのマスクのセンスが悪かった…?」と返信したら「こっちにも手作りマスクの人はおるけど、なんかそれは下着っぽい」とのこと
三つ目のコメントは「ブラかと思った」です。
わかったわかった!!もう分かったから!!私がセンスなかったのはもう分かった!これ以上言わないで~(:_;)と思い、コメントを返さず投稿は消しました。
二度と手芸なんかしません。作ったマスクは妹には悪いですがすべて破棄し、大人しく不織布マスクをつけようと思います。
ただ、このコメントをしてきたのはすべて地元の知り合いです。
東京に来てから出来た友達はこんなこと言うだろうか…
過去の投稿を見直したら私が少し良いものを買ったとき、食べたときの投稿には同じ人からのコメントがありました。全然気づかず返してた…
私はふと、今まで違和感を感じたことを思い出し、上記の結論に至りました。
私が自分を守るために作り上げた自分が今の自分を苦しめている。
コメントをした彼ら(彼女ら)からすれば、きっと今までと同じことを言っただけなのにと思っていると思います。悪気が全くないのも仕方ないです。そのような状況は私自身が作り上げたものなので。
でも今私は友達にも恵まれ、やっと自分で自分のことを少し認められるようになりました。もうあの頃には戻りたくないし、もう無理したくありません。
マスクは今見ても可愛いなと思います。自分でつけて鏡を見てもしっくりくる。
でもこのマスクを見るたびに書かれたコメントがよみがえります。
本当にセンスが無くてクソダサかったとしても、言わないで欲しかった。
私にだったら「下着みたいw」ってバカにしても許されると思ったのかもしれないけど
もう今の私にはそれを笑って受け流すバカさはありません。ごめんなさい。
私の今までの生き方は間違えてたけど、今気づけて良かった。
もう地元には絶対戻らないし、Instagramの投稿も減らそう。Facebookなんてクソみたいなアプリは消そう。
やっぱり私は過去が嫌いだった。いつか愛せるかもと思っていたけどこれからも振り返らず今周りにいる友達と仲良く楽しく生きていこう。
というわけで、私は今月で東京に来て5年になりました。
5さいとして生きていきますので、よろしくお願いいたします。
最後に、こんなに勢いよく文章を書いたのは久しぶりなので、乱文になったと思います。最後まで読んでくださった方がいらっしゃれば本当にありがとうございました。