#2 誰かに必要とされること

 

 

どうも。メンヘラです。

 

 いきなりですが、今私は誰かに会いたくて仕方がありません。

でも友達を誘う勇気もないし、独りでぬいぐるみに話しかけるのも飽きたので()、何故私が今誰かに会いたくて、ここまで誰かに必要とされたいと考えているかを掘り下げて考えていこうと思います。

 

私が考えられる原因は、まず家庭環境や親との関係性もあると思うのですが、別にここでひけらかすほど大したエピソードもないし、不幸自慢もしたくないので割愛しよう。

 

誰かに必要とされるに固執するようになったのは18歳の頃。高校を卒業した後、好奇心で飛び込んだのは「誰かに必要とされなければ一切お金を稼げない」残酷な場所でした。水商売です。自分自身が売り物であり、顔・スタイル等のルックス、話術、知力、あとは…肝臓力?(笑)

総合点で目の前にいるお客様に必要とされなければ、そこに居る価値もなくなってしまう水商売。

指名の本数、飲んだお酒のボトルの数がダイレクトに給料に反映されます。もちろん、時給はありますが、高校生の頃にしていたコンビニのアルバイトの数倍のお金が目の前で動き、自分の懐に入っていくかは自分の実力次第でした。

最初は18歳ということもあり周りのお姉さまのフォローのお陰で指名も取れていましたが、そもそも男性とそれまで二人で話したこともなければ付き合った経験もない。もちろん処女な私が年齢も倍以上の男性を虜にしてお金を引っ張るなんて無理な話で、指名をしてくれたお客さんはほぼ離れ、残ったのは「うぶな私をどうにかして言いくるめて一発やれないか」とたくらむ気持ち悪い親父だけになりました。それでもその人たちが毎週毎週お店に通ってくれて、同伴してくれて、イベントの際は私に花を持たせてくれたおかげで、なんとか店の中でのメンツも潰れることなく稼げていました。

 

 方法なんてなんでもいいんです。私はその頃からどんな方法を使ってでも「誰かに必要とされる人」が正義であって、いくら私が良いと思ったものでも「誰にも必要とされないもの」は悪なんだと言い聞かせて生きてきました。

その後も、22歳で上京するまで水商売は店を変えながらも続けました。22歳、水商売では中堅の年齢です。卒業イベントでは歴代最高の売り上げを叩き出して有終の美を飾れたように見えました。しかし私の顧客は十数人。数少ないお客様皆が頑張ってくださったお陰で私は最後まで「それなり」に魅せていただく事が出来たのです。

 

友達は量より質と言いますが、私の自論上たとえばアイドルのファンや、水商売でのお客様は100万使ってくれる方が10人いるより、10万使ってくれる方が100人いる方が優れていると思うのです。

 

結果、私は人より誰かに必要とされる数が少ないまま24歳を迎えました。

今、何をしているでしょう。そう、アイドルのオタクです。

 

今私が通っている現場は特典会があります。握手だったり、サインがもらえたり、時にはツーショットで写真が撮れたり、先程までステージで歌って踊ってたアイドルとお金を出すだけで俗に言う「接触」が出来ます。

自己顕示欲が高い人間にこそアイドルヲタクは向いてると思うんです。自分が出したお金がそのまま推しからの評価として返ってきます。

 

ここまで書くと私は誰のために、そして何のためにアイドルを追っているんだと思われそうですが、多分自分のためなんだと思うんです。確かにアイドルはファンがいないと成り立ちません。ライブに来てくれるファン、CDや雑誌を買ってくれるファン、ブログ等にコメントをしてくれるファンの数がそのまま彼らまたは彼女らの評価につながります。ですが、ファンもファンでアイドルから様々なものをもらってます。仕事を頑張る気力はダイレクトに稼ぐ力になります。そしてその稼いだお金がまた特典会にて消費される!生きる気力をもらう!稼ぐ!のループです。

 

私は、特典会の間だけでも推しに必要としてもらいたいからお金を使っているのかもしれません。もちろん、私が一日に5万使っても10万使っても推しには一銭も入らないのは承知してます。むしろ私がお金を使って話す秒数が増えるほど彼の時間を奪っているのも承知しているつもりです。それでも、自分の欲望のためにお金を使って既に持っているCDを何枚も、何十枚も、何百枚も買うのです。

 

私の推しは、お金を使えば使うほど、特典会をループすればするほど特別感を出してくれます。私が所謂「鍵締め」をしたり、「全通」をすると数多くのファンの中で1番だよと言ってもらえたり、エースと呼ばれたりもしました。そもそも彼がエースの意味を分かって言ったのかは不明です。

 

私はその特別感に浸りながら、今もヲタクを続けています。

彼のためではありません。自分のためです。これが結果的に彼のためになればwin-winかな?とも思いますが、私の動かしている金額は微々たるものですし、売り上げに直結するほどは買っていると思えません。私みたいなヲタクが何百人もいれば結果は変わるかもしれませんが。

 

ヲタクにありがちな「おまいつ」と「在宅」議論にも言えることですが、現場にいつもいる「おまいつ」からすれば在宅ヲタクなんて存在価値はないし、まずは現場に来て金使ってから同じ土俵に上がって来いよと思っていると思います。少なくとも私はそうです。だいたい在宅の方が偉そうなん、なんなん、なんでなん。

 

話が逸れましたが、誰しもが幸福感を得るためにヲタクをしています。その分傷つく事や、腹が立つこともありますがみんな幸せになりたいから自分のお金や時間を使ってアイドルを追っているのです。

現に私はそれで幸せです。特典会が毎週のようにあるリリースイベント期間中は肌の調子もよいし(マジで)、全通する私は移動が多いため睡眠時間を十分に確保できませんがそれでも元気に朝から優先券をもらうために並べたりします。それもこれもすべて、推しを見るため、そして自分が幸せになるためです。

 

ではリリースイベント期間中ずっと幸せなのかといわれるとそれは違います。私はストレス性の過敏性腸症候群を持っているのですが、物販の列に並んでいるときはだいたい腹痛で死んでいます。なぜかというと、思った数CDを買えるか不安だから。CDを買えないと特典券をもらえません。すると特典会に参加できる数が少なくなります。推しに必要とされる時間が少なくなるということです。極端な話ですが、私はできる限り鍵締めをして、推しと長い間二人きりで話をしたいため、CD購入枚数は非常にシビアな問題なのです。いくらお金を持っていても買う人数が多かったり、購入枚数制限がかかってしまうと思うようにCDが買えません。それが一番ヲタクをピリピリさせる原因であり、その場の空気は殺伐としております。

 

私が幸せになるためにヲタクをしているのであれば、推しは極論自分を幸せにしてくれる道具でしかなく、その逆も然りアイドルもファンに必要とされなければ存在価値を失ってしまうのです。

 

ここで最初の水商売の話に戻りますが、私たちヲタクも彼らアイドルも互いに互いの存在を必要としあって活動しているのです。結局、どこの世界で生きていくのにも「誰かに必要とされること」は必要不可欠なことなのかもしれません。