#5 自己肯定感

 

今日は、自分の性格を形成した一つの原因について、気付いたことがあったためここに認めたいと思います。

 

 

私が今までの生き方を考えるきっかけになったのは、

私のInstagramに載せた投稿に寄せられた複数のコメントです。

 

 

私は幼いころから自己肯定感がとてつもなく低く、ネガティブで、自分に自信がなく、常にだれかと比べながら生きてきました。

 

なぜそのような性格になったのか、全く考えたこともなく、なんとなく育てられ方かな~と思っていました。(両親よ、本当にごめんなさい。)

私の両親は、厳しいながらも私のしたいことはしっかりと理由等を聞いたうえで応援して背中を押してくれる親でしたし、周りの子と比べたりすることもなかったように思います。

 

では、なぜ私がここまでネガティブで自己肯定感が低くなってしまったのでしょうか。

原因は、幼稚園の頃からのコンプレックス、中学生でのいじめ、いじめから身を守るために私はとことん皆よりもレベルを下げていじられキャラに徹し、敵視されることが無いようにひっしに生きていました。

自分よりブスで、勉強も運動もできず、家が裕福なわけでもない人間をわざわざ嫉妬し攻撃しますか?

きっと心の中で「あいつよりはマシ」と思いながらも適当に当たり障りのない付き合いをするのではないでしょうか。

当時、地元にいる私は目立つことが大好きで、リーダーになることが大好きだった自我をそっと閉じ込めて一緒にいる友達よりも下であることに徹しました。

 

幼稚園の頃の同級生で家族ぐるみのお付き合いをしていた子がいます。小さいころの写真はほぼすべてその子と一緒に写っています。中学に入るときにその子は私立に行ってしまったのでそこからは中々会うことがなくなりましたが、その子のおうちはとても裕福で、素直で、顔もかわいらしく、持ち物はすべてハローキティで、とても大切に育てられていた子でした。純粋に、羨ましかったです。

その子を最後に見たのは5~6年前。私たちが20歳くらいの頃だけど、おすすめのユーザーとして出てきたInstagramにブランドのバッグを色違いでたくさん載せて、プラダミュウミュウのレセプションパーティに招待され、煌びやかな生活を送っていました。多分性格も昔と変わらず素直なままなのが文章にも表れていて、今時もう使わない懐かしさを感じるギャル文字で楽しそうな日常を綴っていました。私はそのアカウントをフォローすることなく閉じその後彼女を見ることはありませんでした。

 

小学生の頃の話は特に面白くないので割愛しましょう。

中学に入り、垢ぬけない私はヘルメットというあだ名をつけられ いじめられました。

由来は…こけしみたいなものです。重たい前髪をぱっつんにし、長めのおかっぱだったからです。毛量が多いからヘルメットかぶってるみたいだったんでしょう。

美術の授業で入学式のクラス集合写真のモザイクアートをクラス全員で作ることになりました。

その時に私はヘルメットだったため、私の頭と顔は真っ黒の画用紙で切り貼りされ、そこだけぽっかり穴が開いたような仕上がりになりました。

そのモザイクアートは学年が変わるまで教室に張り出されましたが、だれも私の顔に気づいてくれる人はいませんでした。

 

中学二年生になったとき、私はこのままだと3年間ずっといじめられてしまうと思い、キャラを変えることを思いつきました。今まで私を無視してきたり目の前で悪口を言ってきたカースト上位の女子にいじられキャラとして取り入ることができました。

勿論、無理することは多かったですが彼女たちにも面白がってもらえ、友達も増え(この人たちはのちに友達ではなくなるけど)結果的に中学時代を無難に過ごすことができました。

高校では比較的偏差値も高めのところに進学したため、偏差値底辺の中学の同級生とはあまり会わなくなり、高校ではいまだに親しくしている親友とほぼずっと一緒にいました。

 

高校を卒業した後、私は専門学校に進学しました。そこでは自分のしたいことものびのびできましたし、なにしろ高校までの知り合いが一切いない環境に飛び込めたので、新しくコミュニティを作ることができました。ここで出会った友達はいまだに連絡を取ることも多く、友達にコンプレックスを抱くこともなくありのままの私でもこんなに友達ができるんだととてもうれしく思いました(小学生の作文)

 

専門学校を卒業し、あるきっかけで上京することになりました。

東京にも数人友達はいましたが、結局今仲良くしているのは東京に来てから応援したアイドルのおたく友達であったり、同じ店で働いていた従業員の友達など新しい出会いがたくさんありました。

みんな、私のことを認めてくれ一緒にいても劣等感や違和感を感じることが全くありません。

勿論、地元の友達にもいい関係を築けた友達はいます。ですが、地元の同窓会に行く予定は今後もありません。その当時のノリを求められるのが苦痛だからです。

私は当時そこまで深く受け止めていませんでしたが、自分に自信が無さ過ぎて周りから貶されても違和感を感じずに生きていました。麻痺していたのかもしれません。

 

でも今は違います。すこしずつネガティブがポジティブに変わっていき、自己肯定感もすこしずつ高まってきています。それは今私の周りにいてくれている友達のおかげです。

あと、若干話はそれますが、アイドルのおたくをしていたことも自己肯定感を高める役割を果たしてくれていたと思います。小さい規模の界隈だとおたくの順位はとても分かりやすく、私はお金を使うことで自分の価値を見出していました。実際に推しから私が価値を見出されていたかどうかではなく、アイデンティティでした。

 

そんなことで価値を見出しても…(笑)と笑う人はたくさんいると思いますが、たかがこのレベルのことでも、私にとっては大事なリハビリのひとつでした。

 

 

何年か前、地元に帰ったとき親友に誘われてご飯に行きました。その時彼女も酔っていたのかもしれませんが、私の話を否定でぶった切ることが多く、(性格が)変わったと言われました。私はその子の前ではいつもありのままの自分でいた(つもり)でしたし、変わったと言われ困惑しました。

高校生の時、彼女は親に買ってもらったヴィトンの財布を使っていました。私はショッピングモールに入っている雑貨屋の財布を使っていました。

今は、彼女は何の財布を使っているのか知りませんが、私が自分の給料を貯めて買ったグッチの財布を見て「そんな財布なんか持って」と言われました。

私が東京に住んでから出来た彼氏の話をすると「その彼氏やばいって」と否定されました。

ああ、この子ももしかすると自分より優れている点が私にあると嫌なのかなと思いました。

そこまではいかなくても、当時の私のままでいなかったことが気に食わなかったのかもしれません。

 

東京に来てから出来た友達は私のことを否定する子はいません。もちろん私が間違ったことをした場合窘められることはありますが、一緒にいて違和感を感じたことがありません。その環境に慣れていたからこそ、余計にもやもやしたのを覚えています。

 

さて、では最初にお話ししたInstagramのコメントの話に戻りましょう。

私は、この間の4連休で都内は状況を鑑み家で妹とすることがないため布マスクを作りました。

ちょうどそのころ、妹とプロジェクトランウェイ(アメリカのファッションデザイナーのオーディション番組)にはまっていたのもあり、

不織布のマスクに飽きたので、どうせなら普段楽しんでつけられるファッションの一部になるマスクを作ろうと、生地はブルーグレーと、マゼンタを選びました。

ブルーグレーのマスクには黒レースをあわせ、マゼンタにはビジューを付け

妹も私も大満足の仕上がりになりました。確かに、レースやビジューを付けると華やかすぎたかもしれません。

写真に撮りInstagramにアップしたところ、

最初のコメントは「なんかエロいね」というものでした。確かに私のものと妹のものを二つ並べると下着みたいに見えたかもと思い、「二つ並べるとブラみたいだよね(^^;)」と返信しました。

ただ、載せたのは何の変哲もないマスクです。全くセクシャルなものを載せたわけではないのにエロいと言われるのは多少心外でした。

 

二つ目のコメントは、「それつけて地元に帰ってきたらさぞいじられるでww」でした。「大阪には手作りマスクの人いないの?それかこのマスクのセンスが悪かった…?」と返信したら「こっちにも手作りマスクの人はおるけど、なんかそれは下着っぽい」とのこと

 

三つ目のコメントは「ブラかと思った」です。

 

 

わかったわかった!!もう分かったから!!私がセンスなかったのはもう分かった!これ以上言わないで~(:_;)と思い、コメントを返さず投稿は消しました。

二度と手芸なんかしません。作ったマスクは妹には悪いですがすべて破棄し、大人しく不織布マスクをつけようと思います。

 

 

ただ、このコメントをしてきたのはすべて地元の知り合いです。

東京に来てから出来た友達はこんなこと言うだろうか…

過去の投稿を見直したら私が少し良いものを買ったとき、食べたときの投稿には同じ人からのコメントがありました。全然気づかず返してた…

私はふと、今まで違和感を感じたことを思い出し、上記の結論に至りました。

私が自分を守るために作り上げた自分が今の自分を苦しめている。

コメントをした彼ら(彼女ら)からすれば、きっと今までと同じことを言っただけなのにと思っていると思います。悪気が全くないのも仕方ないです。そのような状況は私自身が作り上げたものなので。

 

でも今私は友達にも恵まれ、やっと自分で自分のことを少し認められるようになりました。もうあの頃には戻りたくないし、もう無理したくありません。

 

マスクは今見ても可愛いなと思います。自分でつけて鏡を見てもしっくりくる。

でもこのマスクを見るたびに書かれたコメントがよみがえります。

 

本当にセンスが無くてクソダサかったとしても、言わないで欲しかった。

私にだったら「下着みたいw」ってバカにしても許されると思ったのかもしれないけど

もう今の私にはそれを笑って受け流すバカさはありません。ごめんなさい。

 

私の今までの生き方は間違えてたけど、今気づけて良かった。

もう地元には絶対戻らないし、Instagramの投稿も減らそう。Facebookなんてクソみたいなアプリは消そう。

やっぱり私は過去が嫌いだった。いつか愛せるかもと思っていたけどこれからも振り返らず今周りにいる友達と仲良く楽しく生きていこう。

 

というわけで、私は今月で東京に来て5年になりました。

5さいとして生きていきますので、よろしくお願いいたします。

 

最後に、こんなに勢いよく文章を書いたのは久しぶりなので、乱文になったと思います。最後まで読んでくださった方がいらっしゃれば本当にありがとうございました。

 

#4 淪落

 

お久しぶりになりました。

ブログを開設し、そして放置し、3年以上が経ちました。

3年近く、何をしていたかを考えてみましたが、転職を繰り返し、オタク活動に励んでいましたが、そのアイドルも2020年3月末を以て解散。コロナの情勢もあり今は無職のアラサーとなってしまいました。

そんな自粛生活の今、あの方のことを思い出します。

 

2017年の5月1日。

私はあの方に出会いました。

 

特殊な出会い方でした。その方は、初対面の私を占ってくれました。家族のこと、仕事のこと、結婚のタイミング、そして#2のアイドルの推しとの相性なんかを占ってもらったんです。笑

珍しく、一目惚れではありませんでした。ただ、他の男性より少しは心を開いていたのかもしれません。その時に口頭でメールアドレスを教えてもらいました。私は伝えていません。

このご時世で、LINEではなくメールアドレス…。そのメールアドレスに私から連絡したのは2018年の2月です。それまで何をしていたのかというと…

 

オタクに励んでおりました。

 

その方とは5月以降もあの方のタイミングで1~2か月ごとに会い、お話をして、いました。連絡を取らなくても会いに来てくれて、会いに行けたんです。そんな特殊な関係でした。勘の良い方はここまでで私たちの当初の関係が分かったかと思います。ですが、ここでは敢えて言及せずお話を進めさせてください。

 

#1にもあるとおり、私はその方に特殊な理由で必要とされており、私もその方をある意味必要としておりました。好きというほどではありませんでしたが、心地よかったのです。

 

2018年2月に私から連絡をしたのは、私たちを挟む"あるもの"がなくなってしまったからでした。口頭で一度教えてもらっただけのメールアドレスを打ち、送信したときは久しぶりに緊張しました。誤送信していないか。当時はコンプライアンス部門でお仕事をしていましたので、メール誤送信はご法度だったのです。。

 

2018年3月に私達は初めて会いました。

その時に気づいたのは、私はこの目の前の人のことを何も知らなかったということです。名前も、年齢も、婚姻の有無も。

好きな食べ物、学生の時の話や、映画の話はあれほどたくさんしていたのに、基本的な情報が全くない状態で仲良くなってしまっていました。

 

食事をしながら、仕事のこと、私の父親のこと、好きな男性のタイプの話をしている際に私が「そう言えば、ご結婚はされているのですか?」と聞いたら、一呼吸置き「しています。」と言いました。

正直、この応答も記憶が曖昧で、その時食べていたステーキの味は思い出せません。肉を噛んでいると思ったのに気付いたら自分の舌や頬を噛んでいました。

 

彼はその時あまり強くないワインを飲んでおり、食事の後は六本木駅で解散しましたが、私は酔いを醒ますために乃木坂駅まで歩きながら、もう会うことはないだろうなと思っていました。その後まっすぐ帰るのは気が引け、友達とスピリタスを飲んで大騒ぎするくらいはへこんでいませんでした。

ですが、彼からの連絡はその後もありました。私は、結婚しているなら会えない、不倫にはリスクがある。そのリスクを負ってまで会いたくない、と伝えると、彼からはこんな言葉が返ってきました。

 

「一緒に居たら絶対に楽しませる自信があるし、幸せに出来る。「〜と思う」ではなくて絶対的な確信を持って言える。何があっても途中で捨てたりなんかしないし、最後まで優しくします。」

#3 未遂

 

人って弱い。

 

アレルギーの話、知ってますか?

人のアレルギーや例えば花粉症って、身体の中にみんな違う大きさのカップを持っていて、そこが満杯になると拒否反応が出てしまう。カップの中身は減ることがなく、ずっと溢れてしまうから ある日突然発症するし 大体のアレルギーは 治らない。

 

私事ですが、先日からコーヒーが飲めなくなりました。前まではブラックも飲めたし、カフェオレを片手に仕事することもよくありました。でもある日コーヒーを飲むとお腹を壊すことが増えて、違和感を感じながらも度々コーヒーを飲んでいたら終いにはコーヒーを飲むことで気道が狭くなるのか息がしづらくなり脳に空気が回らなくなりしんどくなることが増えました。

何の前触れもなくいきなりこんな症状が現れたので、自分がコーヒーアレルギーかもしれないという自覚を忘れることもあり、ミルク多めのコーヒー牛乳や珈琲ゼリーを口にすることもありましたが、二口飲むあたりから寝不足の時のような気怠さが襲ってきます。そこで気付くのです。「あ、これコーヒー入ってる」

 

この間も無自覚でティラミスラテを注文して飲んでいたらこの症状が出て、やっとこれもコーヒー入ってると気付くのです。こわい。今までルーティンで飲んでいたコーヒーだからこそ、自分の生活からコーヒーを意識して抜くことが出来なくて、友達にも「忘れてそうだから言うけど、ティラミス自体にもエスプレッソ入ってるからもうティラミスも食べちゃダメだよ」と言われ、ティラミスにコーヒー入ってることを思い出しました。悲しいです。

 

でもこれを意識して生活していかないと、今は息がしづらくなってしんどくなって終わりだけどいつか死んでしまいそう。アナフィラキシーとかもあるから気付かず摂取して死亡という自体だけは避けたい。

 

コーヒー飲んで死亡なんて恥ずかしくて成仏できないよ。

 

 

と、前置きが長くなりましたが本当はこんな話をするために書いたのではなく、

 

私は今まで縁を切った友人が3人居ます。

本当に仲良くて、よくご飯にも行ったし遊びにも行きました。

 

彼女たちはみんな優しくていい人たちばかりでした。

 この三人は、私が心を開いて何でも話していた友人であり、自分を犠牲にしてでもこの人は大切にしようと思っていた友人たちでした。

 

もう、付き合いきれないなと思ったのは何か大きな出来事があったからではなく、ほんの小さい言葉の積み重ねでした。

 私はあまりけんかをする方ではありません。エネルギーを使いたくないからです。

 

この三人に共通して言えることは、「言葉」を知らない人達でした。

 

 

4年も前に書いた下書きです。この続きは何を書きたかったのか、どう書きたかったのか思い出せないため、「コーヒーアレルギー」の話としてそのまま投稿したいと思います。

#2 誰かに必要とされること

 

 

どうも。メンヘラです。

 

 いきなりですが、今私は誰かに会いたくて仕方がありません。

でも友達を誘う勇気もないし、独りでぬいぐるみに話しかけるのも飽きたので()、何故私が今誰かに会いたくて、ここまで誰かに必要とされたいと考えているかを掘り下げて考えていこうと思います。

 

私が考えられる原因は、まず家庭環境や親との関係性もあると思うのですが、別にここでひけらかすほど大したエピソードもないし、不幸自慢もしたくないので割愛しよう。

 

誰かに必要とされるに固執するようになったのは18歳の頃。高校を卒業した後、好奇心で飛び込んだのは「誰かに必要とされなければ一切お金を稼げない」残酷な場所でした。水商売です。自分自身が売り物であり、顔・スタイル等のルックス、話術、知力、あとは…肝臓力?(笑)

総合点で目の前にいるお客様に必要とされなければ、そこに居る価値もなくなってしまう水商売。

指名の本数、飲んだお酒のボトルの数がダイレクトに給料に反映されます。もちろん、時給はありますが、高校生の頃にしていたコンビニのアルバイトの数倍のお金が目の前で動き、自分の懐に入っていくかは自分の実力次第でした。

最初は18歳ということもあり周りのお姉さまのフォローのお陰で指名も取れていましたが、そもそも男性とそれまで二人で話したこともなければ付き合った経験もない。もちろん処女な私が年齢も倍以上の男性を虜にしてお金を引っ張るなんて無理な話で、指名をしてくれたお客さんはほぼ離れ、残ったのは「うぶな私をどうにかして言いくるめて一発やれないか」とたくらむ気持ち悪い親父だけになりました。それでもその人たちが毎週毎週お店に通ってくれて、同伴してくれて、イベントの際は私に花を持たせてくれたおかげで、なんとか店の中でのメンツも潰れることなく稼げていました。

 

 方法なんてなんでもいいんです。私はその頃からどんな方法を使ってでも「誰かに必要とされる人」が正義であって、いくら私が良いと思ったものでも「誰にも必要とされないもの」は悪なんだと言い聞かせて生きてきました。

その後も、22歳で上京するまで水商売は店を変えながらも続けました。22歳、水商売では中堅の年齢です。卒業イベントでは歴代最高の売り上げを叩き出して有終の美を飾れたように見えました。しかし私の顧客は十数人。数少ないお客様皆が頑張ってくださったお陰で私は最後まで「それなり」に魅せていただく事が出来たのです。

 

友達は量より質と言いますが、私の自論上たとえばアイドルのファンや、水商売でのお客様は100万使ってくれる方が10人いるより、10万使ってくれる方が100人いる方が優れていると思うのです。

 

結果、私は人より誰かに必要とされる数が少ないまま24歳を迎えました。

今、何をしているでしょう。そう、アイドルのオタクです。

 

今私が通っている現場は特典会があります。握手だったり、サインがもらえたり、時にはツーショットで写真が撮れたり、先程までステージで歌って踊ってたアイドルとお金を出すだけで俗に言う「接触」が出来ます。

自己顕示欲が高い人間にこそアイドルヲタクは向いてると思うんです。自分が出したお金がそのまま推しからの評価として返ってきます。

 

ここまで書くと私は誰のために、そして何のためにアイドルを追っているんだと思われそうですが、多分自分のためなんだと思うんです。確かにアイドルはファンがいないと成り立ちません。ライブに来てくれるファン、CDや雑誌を買ってくれるファン、ブログ等にコメントをしてくれるファンの数がそのまま彼らまたは彼女らの評価につながります。ですが、ファンもファンでアイドルから様々なものをもらってます。仕事を頑張る気力はダイレクトに稼ぐ力になります。そしてその稼いだお金がまた特典会にて消費される!生きる気力をもらう!稼ぐ!のループです。

 

私は、特典会の間だけでも推しに必要としてもらいたいからお金を使っているのかもしれません。もちろん、私が一日に5万使っても10万使っても推しには一銭も入らないのは承知してます。むしろ私がお金を使って話す秒数が増えるほど彼の時間を奪っているのも承知しているつもりです。それでも、自分の欲望のためにお金を使って既に持っているCDを何枚も、何十枚も、何百枚も買うのです。

 

私の推しは、お金を使えば使うほど、特典会をループすればするほど特別感を出してくれます。私が所謂「鍵締め」をしたり、「全通」をすると数多くのファンの中で1番だよと言ってもらえたり、エースと呼ばれたりもしました。そもそも彼がエースの意味を分かって言ったのかは不明です。

 

私はその特別感に浸りながら、今もヲタクを続けています。

彼のためではありません。自分のためです。これが結果的に彼のためになればwin-winかな?とも思いますが、私の動かしている金額は微々たるものですし、売り上げに直結するほどは買っていると思えません。私みたいなヲタクが何百人もいれば結果は変わるかもしれませんが。

 

ヲタクにありがちな「おまいつ」と「在宅」議論にも言えることですが、現場にいつもいる「おまいつ」からすれば在宅ヲタクなんて存在価値はないし、まずは現場に来て金使ってから同じ土俵に上がって来いよと思っていると思います。少なくとも私はそうです。だいたい在宅の方が偉そうなん、なんなん、なんでなん。

 

話が逸れましたが、誰しもが幸福感を得るためにヲタクをしています。その分傷つく事や、腹が立つこともありますがみんな幸せになりたいから自分のお金や時間を使ってアイドルを追っているのです。

現に私はそれで幸せです。特典会が毎週のようにあるリリースイベント期間中は肌の調子もよいし(マジで)、全通する私は移動が多いため睡眠時間を十分に確保できませんがそれでも元気に朝から優先券をもらうために並べたりします。それもこれもすべて、推しを見るため、そして自分が幸せになるためです。

 

ではリリースイベント期間中ずっと幸せなのかといわれるとそれは違います。私はストレス性の過敏性腸症候群を持っているのですが、物販の列に並んでいるときはだいたい腹痛で死んでいます。なぜかというと、思った数CDを買えるか不安だから。CDを買えないと特典券をもらえません。すると特典会に参加できる数が少なくなります。推しに必要とされる時間が少なくなるということです。極端な話ですが、私はできる限り鍵締めをして、推しと長い間二人きりで話をしたいため、CD購入枚数は非常にシビアな問題なのです。いくらお金を持っていても買う人数が多かったり、購入枚数制限がかかってしまうと思うようにCDが買えません。それが一番ヲタクをピリピリさせる原因であり、その場の空気は殺伐としております。

 

私が幸せになるためにヲタクをしているのであれば、推しは極論自分を幸せにしてくれる道具でしかなく、その逆も然りアイドルもファンに必要とされなければ存在価値を失ってしまうのです。

 

ここで最初の水商売の話に戻りますが、私たちヲタクも彼らアイドルも互いに互いの存在を必要としあって活動しているのです。結局、どこの世界で生きていくのにも「誰かに必要とされること」は必要不可欠なことなのかもしれません。

 

 

 

#1 破片

 

 今年の冬は比較的暖かいですよね。

去年はもっと雪も降ってたし、東京はもっと寒いものだと思ってました。

 

今日はたった今思ってるあの人への気持ちを

すべてここに書こうと思います。

 

出会いは5年前。そんなロマンチックな出会いではなかったけど 直感で絶対この人のこと好きになるだろうなと思った。

案の定2週間後にはもう好きだったし、多分あの人にも私が好きな事バレてたと思います。

その人には昔から付き合ってる彼女がいましたが、好きになってしまった後に気付くと、どうしょうもないものなんですね。

私は別に略奪癖などは一切無いので、先に彼女がいると知ってたら好きにはなってなかったと思います。

 

それから2年間、多大なるご迷惑をおかけして 私もそれなりに傷ついて丁度いいタイミングでふっきれる出来事があったから上書きされて忘れることが出来ました。

 

それまでもたくさんの事があったんです、今だから言えるけど当時は悔しいとか虚しいより、怖いって感情が一番大きかった気がします。それは私自身の気持ちが大きくなりすぎるのも怖かったし、あなたの彼女も怖かったし、何よりなんにも言わずにいつも笑顔なあなたが怖かった。

私が何をしても、彼女がどんなわがままを言ってもあなたは怒ってるところを見たことがありません。

 

唯一の救いだったなと思うのが、私があなたを怒らせようとしなかった事だと思います。

すごく 他人事のように書いてるけど、あの時の私ならこんな考えに至ってしまう可能性もあったから。なんだかんだ好きな人に嫌われるのは嫌だったので、理不尽な事で私があなたに怒ることはあっても、あなたは絶対に私を怒らなかったね。逆にそれが今の私の気持ちを牽制してるのかもしれないです。

 

砕けた言い方になってしまうけど、あなたは本当に馬鹿でした。今もそうかもしれないけど。

私みたいな勝手に好きになってる人間にはどんな態度を取っても構わないけど、彼女がいる人間としては本当にクズで最低な彼氏だったと思います。付き合わなくて本当によかった。

 

そのふっきれる出来事とは、私に新しく好きな人ができたからです。

ううん、本当はもっと前

二人でご飯に行った時に「彼女と別れたらお前と付き合いたい」って言ったよね。いつもの冗談だと思った。笑ってごまかそうとした。「あいつとは別れようと思ってる」

やっと、付き合えると思った。当時は20歳。信じちゃうよね

 

そんな訳ないのにね。ドラマとかで第三者としてこの話を聞いたら「絶対嘘だって、そいつ別れるつもりないって。キープしておきたいだけだよ」っていう自信ある。でも本当にその後彼女とは別れたんです。

 

だからいよいよ来ると思った。やっと願いが叶うんだって思ってた

 

でもその数日後 あなたには新しい彼女が出来てたね。話を聞いたら前の彼女と付き合ってた期間、被ってたんだね。

「彼女と別れたら付き合いたい」「あいつとは別れようと思ってる」その言葉は 私じゃなくてその子に言ってあげるべきだったね。

 

あなたはずっと付き合ってる彼女がいるにも関わらず相変わらず他の女の子と遊んでたんだよね。

 

本当はその時に嫌いになるべきだった。でも嫌いになれなかった。クリスマス前、友達のライブを見に行った時ロビーで話したのが最後だったね。「お前は、友達としてはすごくいい子だけど彼女としては考えられない」

なんて身勝手な人なんだろう。でもその時も怖くて目を見れなくて振り絞った言葉がこれでした。「大丈夫、ふられるって分かってたから。」

 

 最後まで私はワガママを言ったけど

最後まで私は好かれてもない相手にいい女でいようとしました。

 

「良い女」ではなく「(都合の)いい女」にしかなれなかったけど。

 

その決別から2年ほど経ち、私たちは東京で再会しました。お互いがお互いの都合で上京しており、彼はその時に付き合ってた彼女と同棲し、私は仕事を始めてました。

 

久しぶりに連絡を取り合い「お前の家の近くまで行くよ」と言ってくれた彼のその一言は、優しさではなく、彼女にバレたくないからだったんだと今なら分かります。好きという関係がなくなるとこんなにも冷静に言葉を受け取ることが出来るんだと思いました。

 

それから1年半ほど経った今、またひょんな事で私が連絡をしました。何があったのかと言うと彼の彼女からSNSのフォロー申請が来たからです。いきなり。何の前触れもなく。多分昔から監視されてたんだとは思います。 きっと彼女は私が昔彼のことを好きだったことも知ってるのかもしれない。安心してね、今はそんな感情無いからね。

でもちょうどその頃彼は彼女と一緒にいないのをSNSを見て知っていたので軽い気持ちで連絡しました。「今何してるの?」「一人で呑んでるけど」「おたくの彼女からフォロリク来たけど」「はぁ?」てな具合で。

驚いたのは彼は何一つ驚いてなかった。「あの子はそういう子だから。」「俺はそういう子にばっかり好かれる」 …嫌味か?w

驚きもしなければ怒ってもなかった。迷惑かけてごめんね、とは謝られたけど。同い年なのに随分大人だなーと思った。それほど彼女を愛してるのかな?彼女の何がいいんだろう。と久しぶりに胸が痛んだ。ダメだダメだ、今はもうこんな感情持ってはいけない。

その日からも少しだけ連絡を取って、また呑みに行こうよみたいな話もしたけど多分実現しないと思う。私がしんどいから。

 

私もそれなりに恋愛しました。相手の気持ちも考えられるようになりました。今の本心は本当に会いたいよ。会って他愛もない話がしたい。今悩んでることを打ち明けられるのは多分彼しかいない。私が好きだったことがある人や元彼は私の性格の悪いところ全てを見られているから逆に何でも打ち明けやすい。でも、今会ったら確実に頼ってしまう。寄りかかってしまうと思った。それは彼女にも申し訳ないし、彼にこれ以上迷惑をかけたくなかった。好きだからこそ、彼には幸せになってもらいたいと思ったし、(これがバレて)彼女と揉めるかもしれない面倒な事を彼にはもう経験して欲しくなかった。会わなければきっと彼が責められることもない。

 

まぁ多分、責められたところで彼はきっと彼女には魔法の言葉でも使って許してもらうんだろうけど。